かの存在が求めていたのは信仰でも憧憬でもなく、殺意と敵意とそれを見事に内包した共感であるのだと、盲目である私ですら、知っている。しかしそれを捧げることのできない私は、今日もかの人の玩具として踊る。





//神は虚空に嘲笑う//





 手にした週刊誌には最早定番とも言えるカラー頁。年頃の女性が最小限の布を素肌にまとい悩ましげな秋波を見る者へと投げかけている。
 さて男という性と検事という職を持つ自分は、食い入るように見入るべきか下らないと放り捨てるべきか、どちらの方が行動として自然だろうか。


 それこそ下らないことを考え、すっかりまともな記事を読む気も失せ放り投げようとしたその腕を、やんわりと白い手が止めた。


「…なに、興味ありそうな記事がなかったのか?」
さっき開けたばかりじゃないか。
「あ、いえ…」


 私の手から雑誌を取り上げた神は、ぱらぱらと適当に頁を繰っていく。そうしながら、神は私のすぐ隣へと腰掛けた。紺のソファがきしりと小さく軋む。


「何処読んでたんだ?」
「…特には。その、適当に」
「でもさっきこの辺りを見ていたな、お前」


 言いながら神が開けていたのは、まさしく数十秒前の自分が見ていた写真の頁で。
 何処から私の様子を伺っていたのか思わず訊いてみたくなった。
 ぱらぱらとその辺りを眺めながら、くつくつと神は笑い出す。


「…ふふ、思春期に差し掛かって過剰反応する男の子みたい」


 わざわざ投げ捨てなくっても。


 そう言いながらグラビアを眺める神こそ、違和感が余りある光景だと思った。
 そこに出てくるどのような人間よりも、目の前にいる存在こそが至高だと知っている自分にとっては。


「魅上魅上、ちょっとちょっと」
「はい?」
「さっき見てたのこの子だろう?こんなのが好みか?」


 たおやかな指先が差したのは、やや童顔ぎみでショートカットの少女だ。大き目の瞳を笑みの形に細め、明るいライトブルーの水着がとてもよく似合っている、のだろう。何故推定形かといえば私は他人の造詣や服装のセンスについて特に感想を持たない方であり、否、正直に白状してしまえば仕事絡み以外では他人の区別もあまりついていない。敵と判断した相手については別だが。
 反応の薄い私に、どうやら違うようだと判断したらしい。神は更に頁を繰りながら、私に矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。普段であれば喜びに打ち震えている所だが、内容が内容だけに一体どうしたものか。時折、このようないわゆる「年下」を思わせる笑顔に、可愛らしいと感想を抱くのは不敬以外の何者でもないかもしれないが。


「具体的にはどんなのがいいんだ?年下?僕も年下だし。あぁ、もしかして年齢より幼さ、ってのがネック?」
「…私は性犯罪者か何かですか…」
「えー、じゃあー、茶髪?色白?お前絶対面食いだろう?スレンダー or グラマー?…ってまあこれはスレンダーだね、お前は」
「……あの」


 何故だか実に楽しそうだ。
 切れ長の黒曜石をきらきらと耀かせている様はとても美しい(神の造詣、人格その他神を構成する元素に至るまで私は心より賛美してみせよう)が、神が見た目無邪気そうに微笑んでいる時こそ私の思いもよらぬことが隠されている。と、いうことには流石の私でも察せるようになった。この場合のなった、は回避するべく尽力する、とイコールではない。
 だから今日のこの日も、ふぅん、と笑みを形作った唇が会話の打ち切りとして、


 じゃ、用意しといてあげる。


 と囁かれてもその時の私はかの声にうっとりとしているのみで、内容などろくに吟味してはいなかったのだ。





 久々に帰宅すると、ベッドルームには見知らぬ少年がいた。


 難解な事件や雑務がこれでもかと舞い込み昼も夜もなく忙殺され、ようやく全体の目処がついたので久々に帰宅をしてみたところ、出くわした光景に私は停止した。誰何の声を上げることも、通報が念頭になかったことも、きっと過度の疲労故であろう。
 鍵は普通にかかっていた(再び施錠したのだろうが)。玄関に知らぬ靴はなかった(靴箱にわざわざ入れたのだろう)。明かりもつけず、盗みを働くでもなく、一体どういうつもりなのか。
 私と目が合うと、その少年は黙ったままにこりと微笑み、ある種の艶を含んだ目が彼の横にぽっかりと空いているスペースをなぞる。彼は一糸まとわぬ姿で、私のベッドの端にもぐりこんでいたのだ。
 そして私は理解してしまった。
 少年は、やけに小奇麗な造りで、髪は明るいキャラメル・ブラウン。華奢であまり日に焼けていない。大きめで切れ長の瞳がにっこりと細められた。
 その容姿を箇条書きで挙げていったとしたら、その羅列によく似た人物を私はよく知っている。


 私はその日、名も知らぬ少年を抱いた。


 てっきり、(私の反応を見るためだけに)すぐにでもかの人から連絡が来るかと思っていたが、ひと月以上、音沙汰はなかった。
 裁きに関しての通達は高田を通して届けられ逆もまた然りであったが、しかしそれだけだ。
「あぁ、もうそんなになるっけ?」
 ひと月以上、私を放り出した神は真っ白のシャツのボタンを外しながらあっさりとそう言った。覗く白い肌には、口付けの痕が幾つも残されている。無論私のつけたものではない。つい先ほどまで他のホテルで会っていたはずの、高田のものだろう。もしかしたら弥のものも混じっているかもしれないが。
「そういえばそんなこともあったっけね。吃驚した?」
「……突然、寝室に他人がいれば、それなりに」
「あはは、サプライズはとことんまでやらなくちゃ。どう?あの時は愉しめた?お前好みを用意したつもりなんだけど」
 その、『お前好み』がそのまま目の前の存在をなぞっていることなど、とうに知っているくせに。神はそうして笑うのだ。
 上等なホテルの、上等なベッドに、最上級の身体が沈む。
 シャワーを浴びたのだろうが、しつこく女の残り香が鼻につき、私は眉をひそめた。まるでかの存在を、所有しようとする愚かな行為。全く底の浅い女だ、こんなことで牽制しているつもりか。つんと澄ました外面とは裏腹に、必死さが透けて見え嗤ってしまう。
「疲れてたのか?僕の時とは違って、2、3回でさっさと寝たそうじゃないか。若い癖に」
「……貴方だからこそです。元々、私はそれほど」
「性欲旺盛じゃないって?はは、これでそんな台詞吐くんだね、お前は」
 ぐりぐりと容赦なく、ズボンの下で反応している性器を踏みにじられる。素足とはいえ、体重を乗せたそれは愛撫というレベルではない。ベッドサイドに掛けた神に跪くしもべたる私は、ぐっと苦悶とも快楽ともつかぬ声を出さぬよう耐える。
「もうこんなにして。期待してたの?」
「……ぅ…っ、」
 足で器用にこねくり回される。時折緩急をつけて、足全体でもみこむように。つま先で撫で上げ、先端を刺激される。
「はは、お前に手や口は勿体ないな。一回出しとく?早漏は僕が楽しくない」
 程なく、みっともなく足だけで達した私を神は手を叩いて笑った。脱げと命を頂いていないので、私は一切着衣を乱さぬままだ。衣服の中を白濁が伝い、生温いと同時に気持ちが悪い。
 ぼす、とスプリングの利いたマットに沈んだ神は、私を手招きながら微笑んだ。


「おいで、魅上」


「そういえば訊かないね、何故?って」
「…は?」
 今晩2度目の―――いや、すでに日付が変わっているから1度目か―――シャワーを終え、バスローブを纏った神は私に爪を切らせている。足の爪がやや伸びているのがずっと気になっていたらしい。女を抱き、男に抱かれながらその脳裏を占めていたのは爪ばかりだったのだ。形の良い、桜色の爪を慎重に切り揃え、丁寧に優しくヤスリをかける。
「いきなり美少年をプレゼントされて、その理由は気にならない?」
「神の意向でしたら、私は」
「単にお前の反応が知りたかっただけさ。比べたかったのかも」
「…比べ?」
「どちらの反応が僕にとって理想的か好ましいかなんてことは、どうでもいい。ただお前はどうなのかな、と思っただけ。なかなか興味深かった。確かにお前にとっての僕はそうであるならば、取るべき行動もそうだっただろう」
「……あれ、とですか」
 無意識に声が低くなる。比較対象を邪推するなど下僕としてあってはならないことだが、しかし目の前のこの人が、思い出すように語るのもまた、たった1人だけだ。
「そうだよ。お前にとっての僕が『そう』であると同時に、あれにとっての僕は『そう』だったからね」
「…あの、宜しければ」
「なに?あぁ、あれがどうしたか?」
 内緒話をするように、神は私の耳元へと薄い唇を寄せた。
「ふふ。あれは……僕にしか勃起しなかったらしいよ?自分の右手にすら愛想つかされてね!はは、かわいそうに!」
 突然に、神は私に預けていた右足を動かした。私の顎の下に引っかけ、掬い上げるように私の上体を引き寄せ、耳元で囁く。
「もう一度しよう、魅上。たまには黄色い太陽もいいだろう?」
 私が異を唱えることなど皆無であるというのに、首に絡みついた足指はぐいと曲げられ、切り揃えたばかりの爪が頚動脈の上に食い込んだ。
 ローブの紐を解く手を胸元へと誘い込みながら、瞳を悪戯っぽく瞬かせて神は嘲笑う。


 私の腕の中で、私ではない男に向けて、神は永遠に嘲笑し続ける。


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