ふあ、と彼はだらけきった様子で小さく欠伸をひとつ、洩らした。そしてうぅん、と猫のように椅子にかけたまましなやかに背を伸ばす。その動きに合わせて、彼の身体を拘束する金属同士が触れあい、硬質な音が響いた。
//ユダはどちら// 「眠い」 オヤスミ、と囁いた相手は、もしかしたら彼の死神にであっただろうか。あの異形は、今も彼の隣にいるのだろうか。 それはこちらへの戯言でなかったことだけは確かだ。彼は現にうつらうつらと舟を漕ぎ出している。緊張も意識も違和感も何も無い様子に、あれだけ前例があれば当然かとも思う。自宅の盗撮から始まって、監禁と手錠による1対1の拘束。それに比べれば今置かれた籠の鳥のような環境も、あながち過ごしにくいとは言えないかもしれない。 「退屈」 彼は余計なお喋りなどはしなかったが、たまにこぼす単語は常にその類のものだった。起床時、食事時、入浴時、入眠時、ふと思い出したように彼は言う。私はそれがひどく不快だ。 「退屈で死にそう」 「それは負けた代償だ」 幾度目かの、その台詞に、とうとう私は口を出した。 「お前が、舞台から降りた、代償だ」 「は」 彼は薄く笑った。椅子にかけたまま―――正確には、椅子に固定されたまま、だ―――しっかりと天井近くに設置してあるカメラのレンズへと、私へと視線を向け、彼は笑う。 「違うな」 「退屈で、退屈で、退屈で」 「倦みそうなのは」 「お前だからだよ」 「―――坊や?」 「お前は永遠に、追いつけやしない」 楽しかったなぁ、と彼はうっとりと目を細める。しゃらり。細い鎖が鳴る音に、ますます彼は目を細める。もうその先に、繋がる男の姿はないのに。 私は僅かばかり顔をしかめた。彼は目的格を口にしていないのに、私はそれが誰なのかを即座に悟った。何処かで私自身それと察していたからだと、彼は嘲ることだろう。 明日にでも鎖を解こう、と私は決めた。何を言っている。お前が負けたのは、私だ。私とメロに、お前は負けたのだ。反射的にそう言いそうになりながらも、私が沈黙を守ったのは一重に、私の自尊心からだった。この世界の誰もがキラが屈したと、敗北したと思っていようと、あの部屋の青年だけは。 「所詮お前たちはね」 あぁ楽しかったなぁと彼は言う。 「お前がそこまで入れ込んでいたとはな」 「当たり前だろう?あれはお前たちとは違う」 そうだ判っている。あれは私たちよりよほど、彼に近い生き物だった。 「あれのいない世界は、本当に退屈だ」 ふあ、と彼はこの4年間、欠伸をしながら過ごしてきたのだろうか。 「……殺さなければ、愉しめたんじゃないか?」 聞く者がいれば不謹慎だと眉を潜めかねない私の問いに、彼は至極あっさりと答えた。 「だって、あれが隙を見せるから」 殺すしか、ないじゃないか。 まるで1足す1は2だと言うかのように、当然のように返された。その時の表情はまさに子どものそれそのままで、そして彼は付け加えて何かを言うこともなく、ただ、天井をのんびりと見上げていた。 それでも私は、彼の言わんとすることを、何故か自然に察することができた。 「…お前にとって、裏切りだったのか?お前にとって、『それ』、は」 「殺されたくらいで死ぬなんて、裏切り以外の何だっていうんだい、察しの悪い坊や」 今度こそ間違いなく、彼は私の不明察ぶりを嘲っていた。 「…違う。それはお前の裏切りだ。お前が、『L』を、殺した」 かつて同じ建物の中で、同じ部屋で、同じベッドに寝て。物理的拘束がありながらも、精神的にも彼らは片時も離れずに、ひとつのものを追っていた。 まがい物のキラを追っていた時も、この青年への容疑が晴れることは、Lの中でなかった。なかったはずだ。私の記憶の中のLとは、そういう人間だった。 「直接、手を下した訳じゃないけどね。もちろん、ペンを動かしたのも僕じゃない。ふふ、でも間違いなく、そうさ間違いなく、僕が、あれを殺した」 では何故むざむざLは殺された。容疑者に対して、警戒を怠るような人物ではない。 「だから言っただろう、坊や?あれが隙を見せるから」 この僕に対して、まさか野良猫じゃあるまいしいつか懐くとでも思っていたのか、あの男は? 「…だから、か?」 「あちらが先に僕を裏切った。僕は根に持つ方でね、報復は確実に3倍返しするタイプだよ」 一瞬たりとも気を抜けない、ぴりぴりと差すような猜疑の視線。全身を常に愛撫されているようなその感覚が、僅か、ほんの一瞬だけ緩和した時の衝撃は忘れない。 「よりによってあの時とは!お前の最愛の気配すら判らない愚鈍だったなんてね!」 ははっ、と彼が声を上げて笑うのを、私はこの場所ではじめて聞いた。青年はくつくつ笑い続けていたが、それが収まると一転して静かな、微笑にも近い穏やかな表情を形作る。 「―――失望は殺意の根幹としてはありきたりすぎる。そう思わないか、坊や?」 「お前は、その前からLを殺そうとしていた。そうじゃないのか」 「全然違うね。Lはキラの目的の邪魔だった。だから排除すべきだ。それまでLは僕にとってね、道を塞ぐ倒れた電柱か大木みたいなものだったんだよ。邪魔だ、不便だ、どかさなければ。そしてさっさと廃棄してそれで終わりだ」 それなのに…青年は呟く。 「もっと、苦しい死に目に遭わせてやればよかった」 退屈に倦みながら、青年は白い天井を眺めている。 私はその時、はじめて知った。 あの男は、『キラ』が唯一、私怨で殺した人間だったのだ。 「あの時」とは無論、ヘリでのあのシーン。 back |