「…それでは、月君」 「あぁ、それじゃあ」 又いずれ。 // 隣人を愛せ、と // この家の隣には、世界の誇る名探偵様がお忍びで住んでいる。 「また来たのか。暇か?暇なのか?この間ご丁寧に国際電話までかけてきて西ウェールズのシリアルキラーがどうのこうの言ってたのは僕の記憶違いかな?」 「日本時間で昨夜犯人をとっ捕まえてついでに自供もさせました。精神鑑定にかけても余裕で責任能力を問えます。完全勝利。いい響きです」 「ああそう、それは非常に、とても、全くもって―――良いことだ。君にとってはね。帰宅した途端いきなり自室に他人が侵入していた事実に直面させられている僕とは雲泥の差だ。なぁ竜崎、お前は何時の間に顔パスになった。この家の。えぇこら」 「幸子さんと粧裕さんはパパジョーンズのNYチーズケーキがお好きなんですよ、ご存知でしたか」 「探偵が堂々贈賄するな!」 自らもぼろぼろ土台部分のクッキーを盛大に落としながら(人の部屋で!しかも絨毯の上に!どうしてくれようかこの爬虫類)、今3個目のケーキを平らげた親指を吸っている男は全く悪びれた様子がない。 それはそうだ、この厚顔無恥のモラル常識欠如人間(いや人間であるという前提ですら怪しい)に、今更遠慮や恐縮などといった繊細な感情を起こせなどと…想像の範疇を超えている。 この、目の前に座っている男は驚くべきことに―――今でも半信半疑だが―――探偵なのだ。 それも、警察機構が―――日本警察ではない。国際警察機構が、だ。つまりは世界が、だ―――最後の切り札、なんてこっ恥ずかしい呼び名で寄りかかっているくらいに、とてもとても優秀でいらっしゃるらしい。 らしい、というのは何のことはない。男の存在は表立って出されることはなく、そして男自身はといえば安楽椅子探偵につきもののリラックスチェアーや書斎や黒猫やタイプライター(ステレオタイプというものはたまには必要だ)には縁遠い、一言でいうなら「…ひきこもり?」な外見だ。 僕は将来、警察官僚になる予定ではあるが、そうするとつまりはこの男に助力を請わねばならぬ場面もあるということか。いや、それはかなり、いや非常に、恐ろしく、言葉も出ないほどに……屈辱的だな。 「聞こえてます。というか、聞かせてるでしょう、月君。何時の間にそこまで性格悪くなりましたか。あの頃は」 「やかましい黙れ。ストーカー予備軍。いや、元々1軍入りか」 「失礼な。私の先見の明ではないですか。さすが私。苔むしていた原石をいともあっさりと」 「人を川原の石呼ばわりとはいい度胸だ歯ぁ食いしばれ」 あまりにアレなので誰にも話したことはない。 そもそも、多分、誰にも話しようがないのだが―――この実年齢不詳の顔色土気色男は、弱冠10歳の絶世の美少年(無論僕のことだ)を勝手に見初めて勝手に海を渡ってついてきた。 確かにあの頃、家族で欧州旅行をした覚えがある。僕は10歳、妹は6歳。 イギリスの有名な大聖堂を観に行った帰り、ハイ・ストリートで粧裕がほんの少し、行方をくらませた。幼心にも日本とは違う街の造りに目を奪われてしまったらしい。慌てた両親が妹を捜し歩いている間、僕は目印になりそうな街灯の下に突っ立ち、3人を待っていた。妹のように迷子になることはありえない、と確信されていることは喜ぶべきか悲しむべきか。 と、実は僕の記憶は曖昧極まりなく、この辺り殆ど、全く、皆無と言っていいほどに…覚えていない。男の主張によるならば僕はこの時この男―――普通の人間と仮定して、こいつも相応に幼かっただろうが―――と出会い、会話も交わした、らしい。 しかしそれを覚えていないと非難されても困る。いかな記憶力を誇る僕といえども、海を越え全てに好奇心を刺激される異国の地で、出会った得体の知れない爬虫類一匹、どうして覚えていられよう。そもそもこの話はこれであっさり終わるだろう。いや終わるべきだ。 しかし、此処に天賦の才を遥か彼方に投げ飛ばし無駄にする馬鹿がいた。 あろうことか、その数ヵ月後。隣家が慌しく越して行ったと思ったら、代わりに住み着いたのがこの男だった。いや当時どう見積もっても10代前半だったが。どういう手段を使ったら異国で少し話しただけの少年1人の実家を突き止められるのか、一生永遠に知りたくない。 ―――あの運命の再会(僕にとっては初対面だ)の日。出会い頭、いきなり張り倒され圧し掛かられ、あまつされ求愛までされたあの屈辱、いつか晴らさでおくべきか。 ともあれ、以降この男(堂々と『偽名ですが竜崎と呼んで下さい。正式名称はこの間頂いたんですがそれは言えませんので』と言われた日には縊り殺してやろうかと思った)と僕とは、思いきり、力いっぱい、人為的な、ご近所付き合いを余儀なくされている。 「ふむ。つまりお前の話を統合すると、お前は本名を名乗らず、国籍を持たず、居住地を定めず、世界各国のホテルや屋敷を渡り歩いて警察機構の手に余る難事件を手がけ解決へと導くジョーカーであると」 「何だか都市伝説みたいですね私」 「だったら良かったのに。そうしたら僕はこの部屋で延々独り言を喋っているストレスを抱えた受験生ということで春と共に幻影は消えるのに。嗚呼」 「たかだか高校の受験に奮いもしないなんて言ってたのは誰ですか。いつか夜道で刺されますよ」 「うるさい。さっさと棲家に帰れ。上がりこむな」 しっしっと追い払う手を、ことさら熱を込めて握り締められ胡乱な目で睨みつける。ぎゅっとシャープペンシルを握る手に力が篭った。みしっと嫌な音がしたのはきっと幻聴だ。 机の上には参考書の山。真白い頁を開けたノートブック。小さなラジオから流れてくるのは流暢なEnglish。角の消えかけた消しゴム。絵に描いたような悲しき受験生の図、中学生ヴァージョン。この男が隣家に越してきたのは僕が10歳の時だったから、ゆうに5年近く経過しているのかと今更ながらに思い知らされた。 「…これって精神的慰謝料請求できるかな」 「月君、やはり顔を合わせる度にお誘いしたくなります。貴方の頭脳、才能は素晴らしい。こんな日本なんて国の中だけで留めておくのも惜しいレベルなのを、判っていますか?」 「あのね、顔を合わせる度に言っておくけど、僕は14歳。まだローティーンだ。判る?義務教育真っ只中だし少なくとも大学まではこの国にいるから。そもそもそこまで野心持ち合わせてないし」 「…違うでしょう、貴方の場合は」 腹の立つことに、竜崎は一旦そこで言葉を切り、何やら思案しているかのようにゆうらゆうら頭を揺らしている。 どうでもいいが、顔を見るようになってから(親友でも友人でも知人でもない。勿論運命の恋人なんてものでもありえない)数年、こいつの指しゃぶりの癖は一向に抜ける気配はない。成長と常識の習得とは別物だ。 時折、竜崎は僕を試すように意味のない言葉を投げかけ、反応をただ待っている。 それが、とても、思わず人生設計など放り投げて抹殺してしまいたくなるくらいに、何故か僕を不愉快にさせた。同級生の下らないやり取りや頼みごとでも、笑顔を簡単に取り繕える僕が。 「……何を、言わせたいんだ。お前は?」 「貴方が言いたいことじゃないですか?」 何故か苛々が増してきて(年齢の割に僕は自分の感情制御が上手い方だと自負している)、僕は男を受験勉強の邪魔だと部屋から蹴りだした。 そして今日も。 僕は相変わらず男を蹴りだしたくて堪らない。 「…月君は、将来お父さんのような警察官を目指すんですよね」 「ん、それが何か?」 「それがつまりはとりあえず、ですか」 とりあえずむかついたので一発殴っておいたら蹴り返された。 変わらずゆらりゆらり揺れる頭を押さえつけ、僕は大げさにため息をついてみせた。 「人の人生設計をとりあえず、の一言で片付けないでくれるかな。不愉快だ」 「夢に向かう人間はそのような顔はしていませんよ」 「……じゃ、どんな顔をしているのかな、僕は?君から見て?」 「怒りますよ」 「自信あるんだ?」 「ええ、十二分に」 親指を飽きずに咥えながら、まるで木の洞のように静かに暗い目をこちらへと向け、 「月君。月君」 「名前の連呼は止めろ」 「…貴方はとても優美で、優秀で、そこで完成され尽くしているかのようにしか、見えない」 「何、それ?その後ろには逆接の接続詞しか繋がらなさそうだね?」 「その通り。…ですが、ですけれども、何が。何が、抜けているんでしょう、貴方には?」 「……竜崎?」 「貴方は完璧で、パーフェクトで、満ち足りているのに、貴方は決定的に欠けている。失ったのではなく、元より、欠けている」 恐らく僕は、今この場でこの男を蹴り倒そうと殴り倒そうと、身包み剥がして往来へ放り出そうと、罪には問われないのではないだろうか。いや少なくとも最後は見苦しいからやらないが。 常識も、遠慮も、間合いも、雰囲気も気にしない男は、それでも平然と空いた手でむしゃむしゃとシュークリームを口にしている。この店のカスタードはヴァニラの風味が絶品なのだそうだ。食べもしない甘味に、此処まですっかり詳しくなってしまった自分に腹が立つ。 と、しばし現実から乖離した思考を遊ばせることも限界らしい。男は僕の返答を待っている。とてもそうは見えないが、心待ちに、待ちに待っている。 小さくため息。小さく苦笑。 終わりの決まっている流れは、相手が相応でないと成立しない。 「…つまらない。これでいいかい、名探偵殿?お前の欲しい返答は用意されていたかな?」 「ええ十分に。有難うございます。しからば、いま少し経ったなら、君を世界の舞台に引きずり込んで差し上げましょう。この国では体感できやしませんが、世界は存外広いんですよ」 「ふぅん、あぁそう」 「本当に、ですよ。月君」 そして竜崎は何が楽しいのか、やけに淀んだ瞳に熱を込めて、言い募るのだ。 「もう少し、ほんの僅か。君が残り少ないモラトリアムに浸り終えたら、その時に」 そして竜崎はしばらくしてから後、難事件が舞い込んだと海を渡ることになった。これまでもしょっちゅう―――恐らく日本にいるより海外に滞在している方が長いだろう―――同じことがあったから、しがみつくように別れを惜しむ竜崎を、僕は蹴り飛ばして飛行機に放り込んだ。腹の立つことにチャーター機だというから、服に靴の痕がひとつやふたつ残っていたところで体面は保たれるだろう。多分。 「退屈なんて、君とは無縁であると思い知らせてあげましょう」 はは。何様だお前は。 どうせ嫌味なまでの素早さで事件を解決させ、そして意気揚々と凱旋帰国、僕の部屋へ勝手に侵入しているに決まっているのだ。 しかしその予想は大きく外れ、竜崎が帰ってきたのは、それからゆうに3年近く経ってからだった。 +++ 「お久しぶりです、月君」 「……おや、その―――個性的な容姿と斬新な服装と奇抜な姿勢をしているのは…あぁ、そういえば竜崎」 「月君らしい再会の挨拶、胸に沁みます」 きぃ、と椅子を回し、久々に見る顔だなと改めて思った。 机の上には参考書の山。真白い頁を開けたノートブック。小さなラジオから流れてくるのは流暢なEnglish。転がったシャープペンシル、角の消えかけた消しゴム。 どう見ても見事なまでに受験生だ。但し高校生ヴァージョン。内容は飛躍的に難解さを増している。 前に会った時と―――室内、僕と男の体勢共に全く変化なし。嗚呼人間って日々進化する生き物ではなかったか。少なくとも僕自身はそうだ。そのはずだ。 「はは、久しぶりだね。てっきり何処かで……いや止めておこうか」 「大体何を言いかけたか判るんですが、精神衛生上良くなさそうなので詮索しないでおきます」 「うん、賢明な判断だ。流石だね」 僕の空想内で遂げた哀れな最期が実現していれば良かったのに。 と、ほんの僅かよぎった考えは綺麗に封じ込め、僕は再会早々パーソナルスペース(しかも45センチ以内)に踏み入ってきた男の頭を踏みつけた。ぐりぐりぐり。踏みつけながら、脳の他の回路は参考書の問題にとりかかっている。問3の空欄を埋めてさあ次。 「…あの…月、君…そのおみ足の感触もなかなかですが、それは又別の機会に…」 「さらっと意味深長な台詞を吐かないでくれるかな。で、何?何の御用?名探偵様はお忙しくていらっしゃるから、あの家だってすぐにも人手に渡るものとばかり思っていたけど?住んでいないのに3年間維持してたんだね、暇人?」 「言ったでしょう?私がロンドンに発つ前に」 「ぅん?何?あ―――、あぁ、あぁ、そういえば。何か言っていたっけ。じゃあまさかお前は、それを果たしに?」 思い出す。男はやたらと熱を込め、まるで最愛の女を口説き落としにかかる勢いで、日々僕に言っていた。世界は広い、貴方はそれを知らない、だから、いつか私が―――。僕が世をひねた井の中の蛙なのだと、暗に指摘してきたあの憎たらしい男。 「―――貴方は、優美で、優秀で、そこで完成され尽くしているかのようにしか、見えない=v 突然に、竜崎が紡いだのは3年前の、台詞だった。そこで口を閉じ、何かを待っているらしき様子に、僕は肩をすくめ、 「…何、それ?その後ろには逆接の接続詞しか繋がらなさそうだね?=v 「その通り。…ですが、ですけれども、何が。何が、抜けているんでしょう、貴方には?=v 真正面から失礼にも指差される。その先にあるものは僕の中央。心の臓。 相変わらず、あの時と寸分変わらずに、不快な気持ちが沸き起こる。 「……何も?」 小さく微笑い、きぃと椅子を回して机に真っ直ぐ向き直った。すでに問題は問15まで終わっている。 「何も、ないさ。ただ退屈なだけ」 それより、ベンキョウの邪魔だから帰って? 「えぇ、そのようです。少なくとも…前半は」 「何の?」 「貴方の言葉の、です。月君。貴方は今、とても―――満たされて、いる」 台詞とは裏腹に、竜崎の表情は(元々希薄だが)強張っていた、に分類されるだろう。 通信可能な割に、理解不能な言語の持ち主だ。母国語はカエル語か、それともイグアナ語か。爬虫類系には間違いないんだが。 ぺらり、と問題集の頁を捲り、続きの文章題に目を通す。やはり僕は理数問題のが性に合っている。こういった、文系の、特に年号だとか人物名だとか作者の意図だとか、暗記したり推測したりしてどうとする、と思える問題は解けはするがあまり達成感がない。 「おかしなこと言うな?ひと目で断言できるの、それ?」 「……一体、何が貴方を。貴方を、埋めましたか」 「人の話聞け?」 ふぃ、と竜崎が顔を上げた。前にはよく見ていた胡乱げな表情。目の前でぐるぐる指を回したら、つられて目玉が落ちそうだ。数年前、そんなことを言ったら私は蜻蛉と同レベル認識なんですね、とちょっと寂しそうだったことを思い出した。 目玉のもげた名探偵。うんなかなかシュールだな。 小さく口の端をつり上げて、ノートの端に数字やら人名やらを書き付けていく。ぺらり。この単元が終わったら次は数学にしよう。 「竜崎?」 「月君、私、これからまた仕事があるんです。少しばかり、大掛かりな仕事になりそうです」 「ふぅん。そう」 「えぇ、なので、あの家も、もう売りに出すことになるかと思います」 「もっと早くに売れば良かったじゃないか。諦めが悪いな」 「だって今の今まで、売却するつもりなんてありませんでしたから」 「…あ、そ」 びょん、と微速度撮影の中で跳ねる蛙のように、竜崎は立ち上がった。のたのたと、扉へと向かいだす。その背中を眺めながら、四角い枠内に収まっていた鹿爪らしい顔をした男の顔を思い出し、その名前も思い出してペンを走らせた。 「月君」 「だから、何?そもそも何の用だったんだ、お前?」 「……多分、きっと、恐らく。推測と、私の勘でしかありえませんが―――私は、一体何が貴方を満たしたのか、知っている≠謔、な、気がしますよ」 「そうか」 くるくるとシャープペンシルを回しながら、僕は微笑んだ。今までこの男には向けたことなどないような、優しげな顔だったろう。まぁ、向けた先は机上であって扉方向にではない。 「流石聡明な探偵様。たかが日本の受験生1人、全て把握できると」 「そして、多分、きっと、恐らく―――それは私とは相容れない=v 嗚呼、と。 嗚呼、とても残念です、と男は嘆いた。 「私が、そうしたかったのに。私が、貴方に、知らしめてあげたかったのに」 「それは傲慢というんだよ、竜崎。お前こそ、自分自身が完全ではないということを、知るといい。僕は、僕なりに、充実した日々を過ごしているよ。それはもう、一日が24時間ではとても足りないと思うくらいに、ね」 「―――私は、探偵です。そして、本来なら、私は表舞台に出ないばかりか、日常ですら、隠匿した生活を送るべきだ。数年間、私は周囲の諌めを聞き流していましたが、もうそれも叶わなくなるでしょう」 「そう。それじゃ、もうお前と会うことはないんだ。はは、せいせいする、と正直に言うのと、本当は少しは寂しいよ、と言ってあげるのと、どっちが嬉しい?」 最後なら、希望くらいは聞いてあげなくはないよ、と僕にしては非常に鷹揚かつ寛大に放った台詞に、竜崎はのっそり振り返る。 「ああ、その設問へは、即答できますとも。心配ご無用。どうせすぐ又、会いまみえることでしょう=v 「……いきなり前言撤回?」 「いいえ。貴方はその意味を、とうに知っている」 「探偵サマの1人遊びには、付き合いきれないんだけど?」 「いいえ、それも又違います。これは、私と貴方の、真剣勝負だ」 「…それでは、月君」 「あぁ、それじゃあ」 又いずれ。 ぱたりと閉められた扉をしばし眺め、僕はひとり肩をすくめた。やはりあの奇矯な男は、3年経とうと100年経とうと、きっとあのままなのだろう。頭は良い筈なんだけどな、僕がそう認めているのだから。 いや、やはりアレは頭が良いだけではない。爬虫類の勘だ。 『なぁ、アレか?』 二度と菓子くずに汚されないだろう床を眺めながら、そうひとりごちた*lに、話しかける異形が1人。いや、1匹だろうか。死神はどう数えたらいいんだろうな。 「ああ。そう、アレが、アレ」 『へーぇ。アレがL≠ゥ。いいのかーライト?』 「何が」 『お前、もうあいつ殺せば終わりじゃねーか。目の交換、しときゃ簡単だったのによ』 「だから、それは論外だって言っただろう」 天井から逆さにぶら下がる異形に、僕は微笑いかけた。笑わずにいられるものか。 ぱたり、とシャープペンシルを手から落とす。ころころと転がったその先には、今頃死者の列に加わっただろう男の名。 真っ白なノートの片隅に、記された犯罪者。 『お前なぁ。ノートに触られたら俺見られるぞって言っただろーが。しかも何でわざわざ、あいつの前で名前書いてんだ』 「ん。別に内容までは見られてないし。それにまさか、デスノートなんて存在していると、誰が想像する?」 それがあんな、最高レベルの頭脳を持った名探偵だろうとも。 実際の所、僕はあの男が探偵、それもとびっきりの名探偵であるということを知っている=B打てば即座に返る反応。誰よりも思い描いた軌跡のままに、暗黙の内にある予想図をいともあっさり作り上げてしまう男。 それは片方だけではありえない。僕が僕であり、男が男であるからだ。 「それに、後で知ったら悔しがるかもしれないじゃないか。あの表情筋退化男が!」 『…楽しそうだなライト。でも、俺、お前に有利かと思ったけどそうでもないんだな』 「まぁ、僕が中学生の頃からしつこかったし。直接やり取りはしてなくても、情報の交差はしていたからね。―――L≠ノとって、僕こそがキラ≠ノ最も相応しくかつ、条件を満たす人間だっただけだ」 3年前とは違う、向けられた視線を思い出す。 あの頃の、庇護と、期待と、親愛と、少しばかりの執着の透けて見えた視線とは温度湿度共に変わった―――視線。男と対面していなければ、思わず胸元をかき合わせたくなるような、暴かれる、ような―――視線。 うん、と僕はひとり頷く。やはりお前は名探偵だった。 ノートを手にし、キラの名をまとい、そしてLの存在を知り―――僕は死刑囚をあっさりと囮にしたその男こそ、竜崎だと直感した。それこそ、あの男の名≠セ。あの男以外の誰が、そんな暴挙に出るだろう。 そして同じく直感で、男はキラの正体を知っただろう。 僕以外の一体誰が、そんな馬鹿げた正義をかざすと思う? 馬鹿げた―――そう、馬鹿げてる。 それに全てを費やす僕も、同じく全てを賭け追うお前も。 だから竜崎、又いずれ。 全てはお前の言った通り、近い内に僕らは会いまみえることとなる。 警察機構の背後から、理論と証拠で夜神月に辿り着く≠ワで、しばしの別れと行こうじゃないか。 「ばいばい、竜崎」 また1人、新たな犯罪者の名を書き連ねながら、僕はいつか殺す隣人へと別れを告げた。 例え以前からの知己であっても、月はキラになっていただろうな、と(それだけ) back |