この身体は液体の詰まった歪な袋。 この心は麻薬の詰まった醜い入れ物。 //肉に宿る// 一見安物に見えるパイプベッドが、意外と耐久力を持っているのだと知っている。 観葉植物を置いているくせに、草には水という常識すら抜け落ちている男がいることを知っている。それが枯れないのは、単に彼の部屋に毎日のように訪れる世話役の初老の男か、もしくは時折訪れる褥の相手が水をやっているためだ。櫛を通したことがないような髪、おしゃれという単語すら知っているのか不可解な出で立ち。携帯電話はつまんで持つし、どんな椅子にも体育座り。ちゃんと足裏をつけて座れるということは身体が柔らかいのかバランス感覚がいいのか。さっぱり判らない。 外見は完全に浮世離れした馬鹿。 頭脳は入試満点を叩き出す天才。 そして内面はやっぱり馬鹿。 そして馬鹿の相手をしている僕も、立派に馬鹿の一員だ。 「…ちょ…っと」 伸びてきた不埒な手に、慌てて僕は身を捩って逃げる。ベッドなんてたかがセミダブルだ。本気で逃げられると思ったわけではないが、やはりあっけなく僕の動きは遮られた。男が平然とした顔つきで、僕を見下ろしてくるのが癇に障る。そんなに物珍しいか、男が他の男の体液に塗れている姿が。見慣れているだろうお前。そうして嫌がって見せたら、そういう処が初々しいままですねと笑いやがった。お前やっぱ死ね。いいから死ね。喜んで喪主くらい務めてやる。 「ん…っ、だから…も、しつこ……っ」 男の前世はきっとナメクジか蚊だと思う。あぁ、これは僕の考えるしつこい生き物の代表例。あ、ゴキブリというのもあった。いや、今はそれどうでもいいから自分。なに動揺してるの。 男は人の身体を無遠慮に撫で回していく。いや、そんな可愛らしい表現ではない。明らかに官能を煽る手つきがいやに慣れきっているのが余計にむかつく。ふいに男の手が触れた箇所に熱を感じて、身体がすくみあがった。やばい、今の絶対気づかれた。あぁやっぱり。反応返したからっていきなり元気になってんじゃないよお前。 「だ、から…っ、明日、講義、が……っ!?」 この野郎。せめて台詞を最後まで言わせるくらいさせろ馬鹿!デリカシーゼロ男! いきなり男の指が2本ほど口内に突きこまれた。力を入れて噛み千切ってやれるより奥に侵入されているので、もうどうしようもない。無遠慮に口内をかき回されると、吐き気とそれに準ずる程の快感がついてきた。身体の中をかき回されるこの感覚は、そういえばこの男に叩き込まれた。 「…ぐ…っ…、む、ぅ」 人差し指の背と、中指の腹で舌を挟み込まれる。人体の急所を握られているというのに、どうして身体は悦楽を訴えてくるのか。つくづく人間の身体の作りは欠陥だらけだと思った。僕なら快楽という感覚自体作らない。口を開きっぱなしにしているせいで、みっともなく唾液が後から後から唇の端を伝い、シーツへと染みを作っていく。異物を挿入されているせいで、唾液の分泌も否応無く促進されているらしい。これで体内の水分量が減ったらどうしてくれる。 片手で人の口を好き勝手にしながら、男は残る手でもまた悪さを仕掛けて来る。あぁもう、お前本当にいい加減にしろよ?ノート使わずにこの場で殺すぞ? しかしそういう悪態は悲しいかな、今の僕は吐けない。 いきなり性器を握りこまれて咽喉が鳴る。だからどうして急所と快のポイントが同じなんだ!?人間は元々マゾ嗜好に作られてるのか!? 「…む……っ、ん、んーーっ!!」 あぁ、声が出せないのが辛い。快楽が逃げてくれない。 何度も寝ただけあって、男は僕の弱点ばかりを的確についてくる。こういう処でまで、記憶力の良さを証明してどうするのか。絶対に記憶されている。僕が咽喉への愛撫に弱いこと。僕が舌への愛撫に弱いこと。僕が名前を呼ばれることに弱いこと。 だからこいつはこうやって、僕の咽喉元に軽く歯を立ててから、耳元で呟くのだ。 ライト、と。 この男の口から僕の名が洩れるのはベッドの上だけで、大学でもこの家でも、男は僕を夜神君、と馬鹿丁寧に呼んでくる。見た目は胡散臭いくせに、意外と礼儀正しい。それがこの男の外でのスタンス。 内でのこいつは、暴君だ。 遠慮なんてない、思惑なんてない。 躊躇もせずにあののっぺりした顔で、僕の領土を踏みにじりにかかるあの男。 今もこうして、抱かれ疲れて眠ろうとした情事の相手を労わることなく、またも組み敷きにかかってる。 あぁ、もう。 だからお前なんて。 「……ん、んぐ…っ」 身体の痙攣に合わせるように、口内をまさぐる指がより深く突き入れられた。一瞬襲う呼吸困難。押さえ込まれるままに、男の手の中に精を放つ。若いこの身体が恨めしい。触れられれば反応するんだよ悪いか。男の指を白い残滓が伝う。しげしげと眺められて、始めは感じていた羞恥なんてとうに捨てた。男が好きでしていることに、僕が頬を赤くしたところで意味がない。 しかし羞恥は感じなくても、ぞくぞくとした何とも言えない嫌悪感が沸き起こる。 観察するかのような男の目は胡乱な光をたたえていて、そして浮かぶ光の名を知っている。 まるで自分が標本の蝶になったかの幻覚。 いや、それは男の中で実際に行われていることかもしれない。 ベッドに縫いとめられ、男に留め置かれた蝶は夜神月の顔をしている。 「ふ、」 満足に声を出すことすらもできない中で、想像してみた光景のあまりのシュールさと、そして違和感の無さに僕は笑った。 男は僕を縫いとめる。 常人より低い体温のこの肉の塊が、僕をこうして此処に留まらせる。 「ぷ、は…っ」 ようやくずるりと指が引き抜かれた。浅い呼吸のみを強いられていたせいで、咳き込むように酸素を取り込もうとする。 「はっ、は………流、河…やっ!」 いまだ男の精に濡れた奥をいきなり開かれた。逃げる間もなく腰を掴まれる。何処から沸いてくるのか判らない強い力に、きっと痣が残っただろうと考えた。腰といい、首といい、脚といい。僕の身体の至るところには、男の手跡があるだろう。 何事かを耳元で囁かれる。何を、と思う間もなく、男の顔が近づいてきた。あぁキスされる、と何処かで冷静に理解する自分がいる。しかしタイミングを逃し、目を閉じることはできなかった。 指でさんざん遊ばれた口内を、今度は男の舌が這いまわる。 舌を吸われる、なんてものじゃない。食われてる。多分こいつが歯を立てさえすれば、根元から持って行かれるだろう。僕の唾液腺から分泌されているはずの唾液も、全部こいつの体内に摂取されていっている。 快楽だけではなく、酸素の欠乏のおかげで脳の働きが完全に落ちた。思考がさっきからぐるぐる回る。 すでに霞みかかり始めた目を上げると、そこにはまっすぐ僕を観察してくる男の目があった。揺らぐことを知らない、ひそやかな物陰のように変化することのない黒い瞳。それが常人よりも少ない瞬きで、じっくりと組み敷いた相手を見つめている。 異質だ、と僕の中で警告が鳴った。 この男は危険だ。 この男は異物だ。 この男とともにいれば… ―――壊れる。 ふいに僕は恐ろしくなって、跳ね起きるべく男を突き飛ばそうとした。方向問わずに跳ねた髪と虚ろな目と、そして低めの体温が僕を捕らえかけている。 僕は知らない。 僕は判らない。 僕には見えない。 伸びてくる男の腕が、強い力で僕の肩を抱き寄せる。抵抗ですら反動に変え、男はやすやすと僕の上にのしかかり、そして猛る性器でいきなり僕を貫いた。 「…ひ…っ、…あ、あ…」 痛みとすら認識できない衝撃。快楽に慣らされた身体には、その苦痛ですら刺激にすりかわるのか。ぱくぱくと酸欠の魚のように、ただ大きく呼吸をするしかできない。 犯される。 その言葉だけがちらちらと、僕の脳裏に瞬いては消えていく。 犯されているのは身体じゃない。 突き入れられ、また引き抜かれる。たかが粘膜の擦りあう音が、どうして鼓膜に届くのだろう。ぐちぐちと、気持ちの悪い音。あぁ、先ほど男の放った体液が引きずり出されてきたのか。掻き出す手間が省けてちょうどいい。 「りゅ、が………える…っ!」 みっともなく叫んで、僕は男の肩口に顔をうずめた。男の名前。L。それはお前の名前。 いつか大量殺人犯を正当に殺すと明言する男の、名前。 僕は男の名を呼びながら、男の腰に両足を絡ませた。結合の角度が変わり、芽生えた新たな感覚にまた叫ぶ。 馬鹿だ。 見苦しい。 一体何をしているのか。 男の姿は闇の中、ただの生暖かい肉の塊にしか見えない。きっと男の側からも、僕がそう見えているに違いない。 僕たちはお互いに肉を抱き、肉に抱かれている。 正気の定義など、今の僕たちには必要ない。そうだろう? お互いの欲望をぶつけあい、晒しあい、蔑みあう。 それだけでいい。それだけでいいから。 男の放った体液が、身体の奥に叩きつけられるのをリアルに感じた。その感触にすら、快楽を覚えてしまう自分に愕然とした。足先が軽く痙攣している。荒く息をつき、胸を上下させる僕の身体を、今さら労わるように男が撫でて行った。そして柔らかく、男は僕の頭ごと包み込むように抱きしめる。 何をしているんだ。肉の塊。 そんな余計なことしたって、暑苦しいだけなんだよ。 そう、邪魔なだけ。 鬱陶しいだけだから。 だから。 僕は何も知らない。 僕は何も判らない。 僕には何も見えない。 だから。 「――――――、」 お前が囁きかけるその言葉も、僕には永遠に聞こえない。 back |